はじめまして

自己紹介

はじめまして。

塩崎 道太(しおざき みちた)と申します。

僕のことを知らない方も多いと思うので自己紹介をします。

トップの写真は数年前に研修会を開催した時の写真です。

生まれてから現在まで

僕は1982年、東大阪で生まれ、3ヶ月ほどでお隣の奈良県に引っ越したそうです。

なので、物心ついた時には奈良で過ごしており、大阪での記憶はございません。

幼少期、小学校を上がる前までは奈良県大和郡山市の稗田団地というところで生活をしていました。

祖父が他界したことがきっかけで、父は長男でもあったため、地元の愛媛県に帰省するという選択になったそうです。

 ・大阪で生まれ、すぐに奈良県に引っ越す。

 ・小学校に上がる前に愛媛県に引っ越す。
 →祖母は祖父が亡くなったことがきっかけで少しずつ認知症が進んできていたようです。
  そういった出来事も愛媛に帰省することになった理由になっていたそうです。

  小学校5年生の時、祖母は転倒し骨折、その後寝たきりとなり、母は11年、寝たきりの祖母を介護する生活をしています。

  僕は18歳で高校を卒業するまでの8年間、寝たきりの祖母を介護する母の姿を

  ずっと見て生活をしてきました。

 ・小学校6年生の時、脳腫瘍(松果体腫)を発症し、50日間の入院生活を送る。

 ・中学・高校時代に、父から口を酸っぱくして、『24時間冷暖房完備で、天気に左右の

 されない安定した仕事に就け。』ということを言われていました。

 ・父と兄に習い、高校卒業後は理学療法士の養成校に進学する。
 →出来が悪く、3年制の学校を4年かけて卒業しました。

 ・養成校を卒業後、無事に理学療法士免許を取得し、地元の2つ隣町の病院に勤務しました。
 →2年3ヶ月で退職しました。

 ・養成校時代の同級生に誘われて、愛媛県松山市の民間の会社で訪問看護ステーションに勤務する。
 →病院というフィールドから、在宅に訪問する在宅ケアのフィールドで仕事を開始する。

 ・父の他界をきっかけに、地元の鬼北町に帰省することを決意する。

業界のことについて

僕が理学療法士になって間もない頃は、まだまだ病院で仕事をすることがほとんどで、理学療法士・作業療法士が代表となって会社を起こすという流れが少しずつ広まってきた時代でした。

今では病院ではなく、訪問看護ステーションやデイサービスなどの介護保険事業で仕事をするケースも多くなっており、今現在では新卒の人達が病院で就職できる求人が少なくなってきているという話を耳にするようにさえなってきました。

僕は2020年現在、理学療法士の免許を取得して16年、在宅ケアの現場に関わるようになって14年になりました。

在宅ケアに10年以上関わっている療法士もかなり稀な存在なのではないかと思います。

ブログを開始したきっかけについて

今年、中学からの同級生で、現在東京で生活している友人から1本の電話がありました。

相談の内容が、『母が病気で入院しているが、1人で生活することは困難な状況にあるが、病院からは退院するように言われていて、どうしたら良いものか困っている。』ということでした。

今、僕は38歳というアラフォーと言われる年齢になりました。

地元で生活している同級生もいれば、都会に拠点を移した同級生もいます。

結婚して子供がいる同級生もいれば、僕のようにまだ結婚もしていない友人も何人かいます。

うちの母は幸い現在は元気に過ごしていますが、相談してくれた友人のように、地元に残してきた親が介護を受ける年齢に差し掛かっていて悩んでいる人もいます。

僕が理学療法士となって14年間培ってきた在宅ケアの経験が、遠方で困っている人の力になれる場面が増えてきています。

SNSの普及により、個人とのやり取りや情報の収集が簡単にできる時代となりました。

しかしながら、3年に1度改正される介護保険のことは細かいことが複雑で、どんな制度があってどんな支援が受けられるのか・・・

専門職であっても、その複雑な制度を詳細に理解することは難しく、

情報を必要とする人の年代によっては、その人にとって本当に必要な情報が正確かつ分かり易くその人の元へ行き届いていない現状があります。

このブログでは、介護のこと、健康のこと、病気のことなどをわかりやすく情報発信していきたいと思っています。

僕の発信が、あなたのこれからの人生の困りごとを解決するヒントになれば幸いです。

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